Gendai Reiki Forum


つれづれの記(2007神無月)

2007,10,1

 ここ数日、涼しい日が続き、朝夕は冷気が身にしみるようになった。
帰国して5日間があっという間に過ぎ去ったが、シドニー滞在中はちょうど今のような気温だったと、あらためて思い返している。

 シドニーは春を迎えており、昼間の直射日光を浴びると暖かいが、夜間はホテルの室内で21℃〜23.5℃。少し暖房が必要だった。空はどこまでも青く、会場となったカレッジの庭園に咲く花々が美しい。

 空港到着は20日の午前11時頃で、GRNA理事長のカレンさんが出迎えてくれて、ホテルに着いたのが正午前。
部屋で荷物を解き、1時間ほど休憩したところで、観光のため田村ユキさんが迎えに来てくれて、シドニーハーバーにあるオペラハウスへ移動する。そこで、湾へ出入りする船を眺めながら軽食をとり、オペラハウス周辺を散策する。
 ここは9月8日〜9日、APEC (アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議が開催された場所で、安倍総理(当時)、米国のブッシュ大統領、中国の胡錦濤国家主席、ロシアのプーチン大統領など各首脳が参加し、警戒が厳重だったという。

 ここで、デンマークから参加しているUllaさんと再会。地元のレイキ関係者と合流してフェリーに乗り、サーフィンや高級リゾート地として有名なマンリーへ向かう。 ツアーはGRNA理事のMichelleさんが仕切り、私たちのためにプロの観光ガイド (日本人女性) をつけてくれたが、シドニー在住の日本人のレイキ関係者が数人参加していたので、ガイドと無関係に話がはずんだ。

 マンリーで小休止して、再びフェリーでシドニーハーバーへ戻り、車でホテルへ送ってもらう。
夜は、通訳のため同行してくれている百天さんと、徒歩10分のところにある食堂街へ出かけ、タイ料理を満喫する。この日は、日が落ちてから気温が下がり、少し風も吹いていて、肌寒いシドニー最初の夜となった。翌21日から、4日間連続のワークショップが始まる。

 今回の訪問は、昨年創設されたNPO法人GRNA (Gendai Reiki Network Australia) の記念イベントのため招待されたもので、主な目的は 「現代霊気法を、オーストラリアのレイキ関係者に知ってもらうこと」 「GRNAの活動を担う、現代レイキマスターの数を増やすこと」 にあったと理解している。

 4日間のうち、「初日は、一般向けのレクチャーと交流会」 「続けて、4日間のマスター特別コース」、その翌朝出発して帰国 … と、今までにない、かなりハードなスケジュールだった。 しかし、シドニーと日本では時差が1時間と少ないこと、現地の日本人の方たちとの交流で笑いが絶えなかったこと … などで、疲れは殆ど感じなかった。
横浜の現代レイキマスター (私のひ孫マスターに当る)高橋利幸さんのGokai-Songも、旅の疲れを癒してくれた。

 因みに、NPO法人現代レイキの会で制作したGokai-SongのCDを持参して、参加者に聴かせたところ、非常に好評で、 「自分で毎日聴きたい」 「自分のセミナーで使用したい」 という声が多かったので、帰国して高橋さんに確認したところ、 「後々の事を考え、出所が曖昧にならないようになっていれば良いと思います。世界中のレイキ実践者の方々に、自由に使っていただけたらと願っています」 ということだった。従って、使用することは問題ないので、他の方にシェアするときは、 “高橋利幸さん制作の五戒ソング” ということを明確に伝えていただきたい。

 最終日は、定刻の午後5時に、認定証の授与と記念撮影を行い、すべての行事が終了した。
あとは明朝の出発を待つばかりになったが、有志の人たちと食事会をしようということになり、私たち2人と、日本人4人、再受講に参加したデンマークのUllaさん、アメリカのMikeさんの8人が参加して、日本料理店でお別れパーティーを開催した。

 翌朝、田村さんが空港まで送ってくれて、無事帰国の途についた。
思えば、出発準備の段階から帰国まで、田村さんにはすっかりお世話になってしまった。そして、シドニー在住の日本人たちとの交流は、今回の訪問を楽しいものにしてくれた。
 田村さんはGRNAの理事の1人 (唯一の日本人理事) だが、今回参加した日本人のレイキ関係者たちは、すべて田村さんから学んだ人たちである。

 今回のマスター特別コースで、新たに13名の 「現代霊気ヒーリング協会認定マスター」 が誕生したが、このうち5名が日本人であり、田村さんとともに、レイキの理念 (健康と幸福への道) をオーストラリアに定着させる、大きな力になると期待している。もちろん、マスターという役割において、日本人と外国人との区別はないが、臼井先生の心を理解する点において有利であり、正しく普及するための力となり得ることは事実だと思う。

 ここ数年、各地へ出かけてみて感じることは、どの地域でも日本人マスターが中心となって、日本発祥の臼井霊気療法の真髄を精力的に伝えようとしていることである。ときには、孤軍奮闘という場合も少くないようだ。その中で、シドニーにおける日本人マスターたちのまとまりと資質の高さは、大いに期待できるものを感じる。
 また、オーストラリアのレイキ関係者と、日本のレイキ実践者との今後の交流にも、大きな可能性を感じている。


 ♪ 2007,10,18

 帰国して、早くも3週間あまり経過した。
その間、まとまった行事といえば、先週末 (10/13〜10/14) のセミナーだけだったが、何かと雑用で忙しく、あっという間に日が過ぎて行った感じだ。

 セミナーは、関西を中心に関東・中部・四国・中国からも参加され、交流会さながらの賑やかな2日間となった。
 1日目は、別館の講義室 (50名定員) を確保していたので、狭いということはないが、通常は 「ロの字」 に机を配して互いに顔を見ながらのセミナーなのに、講義室は学校方式なので、どうしても相互の距離感が生じてしまう。
 2日目は、本館の4階 (定員25名) が確保できていたが、 以前立見席になったこともあるので、参加数によっては少し狭いのではないかと思われた。しかし、他に広い部屋の空きがないので止むを得ない。
 再受講は直前まで受入れることにしているため、前日の深夜まで増減を繰り返したが、結局は定員一杯で決着した。

 芦屋市民センターは、大震災前後からセミナーと交流会に使用していたが、最近はすっかり取りにくくなってしまった。毎年、春秋に芦屋市の主催行事があり、一般受付の前に会場を押えてしまうが、それにしても今年の取りにくさは格別である。それだけ利用者が多くなったということだが、このようなときは、しみじみ 「レイキ会館がほしい」 と思う (笑)。
 しかし、部屋の広さはともかく、今月も素晴らしいマスターが誕生した。オーストラリアでの気づきを伝えることが出来たのも、よかったと思う。

 12月上旬にスペイン行きが予定されていたが、先方の都合で延期され、1月下旬から2月上旬にかけて訪問することになった。例によって、スペインレイキ協会のアントニオ会長は、常識で判断できないところがあるので、確実とはいえないが、実現の確率は60%くらいと思えばよいだろう。

 最初のマドリッド訪問は2,001年11月だったが、余りの寒さに、今後は冬のスペイン訪問は避けようと決めた。
そして、マドリッドの国際交流会でも、そのように宣言した。2回目の訪問は2,003年9月、3回目は2,006年4月、いずれも寒さの時期を避けることが出来た。

 このような経緯を経て、次回は厳寒の1月下旬から2月上旬の訪問ということになった。
これはアントニオ会長の希望によるものだが、彼の意向はどうあれ、 「寒い時期には行かない」 と断わることも出来た。しかし、今回は流れに任せることにした。それが、自分の役割を果たす (業を励む) ことになると思われたからである。
 「流れのままに」 が、今後の方向性になりそうである。


2007,10,24

 21日(日)に、芦屋交流会が終了した。
小さい会場しか取れなかったので、参加者は30名程度と予想していたが、32名という結果で、まさにドンぴしゃりだった。このうち8名が新規参加で、一緒に2時間半の交流会を楽しんだ。
11〜12月も、同じような部屋なので、両月とも30〜40名程度と予想している。

 22日から、自宅 (一戸建の方) の内部工事にかかっているので、マンションとの往復が多く、予定の作業が捗らない。ようやく箱根1泊研修の資料が出来上がったので、NPO事務局へメールに添付して送信する。
 工事といっても大したことはなく、2階の畳替え、襖の張替え、壁の塗り替えという程度だが、大変なのは家具類の移動である。

 昭和48年の新築から34年経過しているが、畳はそのときのままなので、あちこち擦り切れている。
現在は生活の場を近くのマンションに移しているので、ここは家具類・健康機類・季節はずれの衣類・書籍類・セミナーの資料やテキスト類、その他もろもろの荷物置き場になっており、パソコンやプリンターなどもあって仕事場でもある。

 延20坪余の建売住宅で、1階は6畳の和室と約10畳のダイニングキッチン、バス・トイレ、廊下など。 2階は和室6畳が2室と、約4畳の板の間という配置で、入居当時はここで家族5人が生活し、やがて3人の子供たちはそれぞれ巣立っていった。
 阪神大震災のときは、すでに2人だけになっていたが、向かいの新築住宅が軒並み倒壊した中で、よく持ちこたえてくれた。このあたり一帯は全半壊地域となり、この家も半壊という証明書を受け取ったが、家具什器類は大きく損壊したものの、家屋そのものは無傷だったといってよい。

 しかし、30年以上経過しているので、畳の傷み方は尋常ではない。たまたま近くの喫茶店で夕刊を読み、畳の広告が大きく掲載されているのを見て、畳を新しくしようという気になった。
連絡すると見積もりに来てくれて、とりあえず2階の6畳2間の畳替えをしようということになった。 ここまではよかったが、畳を替えるためには家具類を移動させなければならない。家内と2人で、2階のものを1階へ下ろしたり、押入れや戸袋に押し込んだり、板の間に移したり、一部はマンションに運んだり、不要のものはこの機会に廃棄しようと市の処理場に運搬したりと、なかなか大変な作業だったと思うが、しかし何となく楽しい作業でもあった。

 22日(月)の朝、古い畳の引取りと、新しい畳を製作するための計測が終わり、ほっとしていたところ、家内が「家具類を移動させたついでに、壁も塗り替えたい」と言い出した。
それなら新しい畳を汚す恐れもないし、あらためて家具類を移動させる必要もない。1室は、嫁いだ娘が高校生の頃に使用していた室で、自分で塗料を買ってきて塗りたくった奇抜なデザインが、そのまま残っている。

 すぐに業者に連絡して見積もりを済ませ、壁の塗り替え工事を依頼した。
そして、壁の塗装が完全に乾いてから、畳を搬入してもらうように手配した。そうなると、古さが目立つ襖紙も、張替えの必要が生じてきて、これも依頼した。

 今回はここまでで止めることになるが、そのうち1階も何とかしなければならない。
できれば2室をぶち抜いて、1室にしたいと思っている。いくら内部を改装しても、手離すときは土地代だけの価値しかないと思われるので、使いやすさを優先した方がよい。どうなるか分からないが、いろいろ考えるのは楽しいものだ。
 27日は上京してヒーリングボランティアの協会の発会式に参加し、28〜29日は箱根研修会に参加する。



                                      

 
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                                                        現代霊気ヒーリング協会